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福岡高等裁判所 昭和31年(う)1176号 判決

控訴人 原審検察官 白土八郎

被告人 張鵬翔

検察官 中野和夫

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三月に処する。

但しこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官提出の控訴趣意書記載のとおりである。

右に対する判断。

(一)  不法入国の外国人と登録義務との関係について。

原判決が、外国人たる被告人は、所定の期間内に所定の外国人登録証明書交付の申請をしないで右の期間をこえ引続き本邦内に在留していたものである、という訴因事実は、証拠によつてこれを認定することができる、としながら、被告人は、昭和二四年八月頃不法に本邦に入国した外国人であることが証拠上明白であり、かかる外国人に対して外国人登録法第三条第一項所定の申請義務を課すことは、本人に対し自己の不法入国の事実をみずから進んで申告することを間接的に強要する結果となり、憲法第三八条第一項の趣旨に照らして許されないところである。というべきであるのみならず、不法に入国した外国人に対しては、その不法の入国を事由として、あるいは刑事上の処罰を行い、あるいは行政上退去を強制する等、それぞれの法的措置を講ずることができるのであつて、外国人の不法入国を防遏しようとする政策的考慮を用いて、不法に入国した外国人にも外国人登録法第三条第一項所定の申請義務ありと解するが如きは妥当でなく、したがつて被告人に登録不申請の所為があつても、右は外国人登録法第三条第一項に違反する罪に該当しないものとし、被告人に対し無罪の言渡をしたことは、所論のとおりである。

そこでまず、外国人登録法の趣旨とするところを審究するに、同法第三条第一項所定の外国人登録証明書交付申請の義務(以下登録申請の義務という。)が、外国人の不法入国を間接的に抑圧する事実上の効果を伴うことのある事実、並びに占領期間中連合国最高司令官の一九四六年六月一二日附日本への不法入国の抑圧に関する覚書から一九四九年一一月三日附の覚書に至るまで五次にわたる同旨の覚書、旧外国人登録令および関係法令の数次にわたる改廃等、現行の外国人登録法の制定に至るまでの沿革過程において、外国人登録の制度が、外国人の不法入国防遏の趣旨を多分に含んでいた事実は、いずれもこれを否定し難いところではあるが、だからといつて、外国人登録法による外国人の登録が、外国人の不法入国の防遏を主眼とするものと解するのは相当でない。およそ国内における治安を維持し、適切な行政を実施することは、国本来の責務であり権能である。国の領土内に在留するすべての一般人について内国人たると外国人たるとを問わず、その居住関係および身分関係を常時明確ならしめて実態を正確に把握することは、右の責務を果し、権能を行使するための重要な前提である。内国人に関する住民登録法、外国人に関する外国人登録法が、それぞれ所定の登録の実施により、内国人の居住関係、外国人の居住関係および身分関係の常時明確化を所期するゆえんのものも、ひつきよう右の要請にこたえるものにほかならない。外国人登録法の目的が右のようなものであることは、その第一条に、この法律は、本邦に在留する外国人の登録を実施することによつて外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もつて在留外国人の公正な管理に資することを目的とする旨を規定するところに徴しても明白である。同法の趣旨目的が右の如くである以上、同法第三条第一項所定の登録申請の義務は、本邦に在留する外国人が外国人たる身分とその本邦在留の事実それ自体とに基いて賦課される義務であつて、本邦に在留する資格の有無、本邦入国の合法違法等には全く関係がないものと解すべきことおのずから明かである。不法に入国した外国人に限り登録申請の義務なしと解すべき合理的な理由は全く存しないものというべく、原判決が、不法に入国した外国人に対しては、あるいは刑罰をもつて臨み、あるいは退去を強制しうる法的措置の可能であることを理由として、かかる外国人に対し、登録申請の義務を課して不法入国禁遏の手段を講ずるの要はない旨を説示し、不法に入国した外国人は登録申請の義務を負うべき限りでないとするのは、外国人登録法の趣旨を正解しないものというのほかはない。この点に関する論旨は理由がある。

(二)  不法に入国した外国人の登録申請義務は憲法第三八条第一項に違反するかとの点について。

所論によれば、憲法第三八条第一項は、もつぱら刑事事件における供述に関する規定と解すべく、したがつて憲法第三八条第一項により保証さるべき不利益供述強要の禁止は、当該供述のなされる段階が直接自己または第三者に対する刑罰を目的として進行している犯罪捜査または公判審理中の段階に限局さるべきである、というのであるが、そのようにせまい解釈は、憲法第三八条第一項の規定の文理に反するのみならず、たとえば、民事の手続、国会の国政調査、公正取引委員会の審判手続、その他立法部門、行政部門の各種調査の手続において、当事者もしくは証人として、ある事項につき供述を求められる者は、もし該事項が自己に刑事責任を帰するような不利益な事項にわたるときは、たとえ、その手続が犯罪の捜査を目的とするものでなくとも、あるいは、その供述を拒みうる旨の特別の規定がなくとも、かかる事項に関する供述を強要さるべきでないこと、いわゆる刑事事件における場合と何ら異るところがないのであるから、憲法第三八条第一項は、かかる不利益供述の強要をも禁止する趣旨であると解すべきであり、憲法第三八条第一項がアメリカ修正憲法第五条と異り、「刑事事件において」という文言をことさらに用いなかつたのも、不利益供述の強要禁止をいわゆる刑事事件に限局することの適切でないことを特に顧慮した結果にほかならないものと解せられる。したがつて、所論が外国人登録法第三条第一項による外国人登録の手続は、たとえ不法に入国した外国人に登録の申請を求める場合であつても、刑事事件の手続でないからという理由で憲法第三八条第一項の適用の範囲外にある旨を主張する点には賛同し難い。ところで、民事刑事の司法裁判所はもとよりのこと、それぞれ国政を分掌担当する立法部門、行政部門における各種の国家機関は、それぞれその固有の立場において固有の機能をいとなむために一定の事実の有無を調査判断するの要がある場合があり各種の法律は、それぞれの場合につき、これら調査判断を行うについて必要な証拠関係を律するため特に一定の手続を定めているのである。これらの手続において、関係人に対し、ある事項に関する供述が求められる場合、該事項が供述者自身に刑事責任を帰するような不利益な事項であつてもなおかつこれが供述を強要されるということは、そのこと自体すでにはなはだしく妥当を欠くのみならず、右の手続において強要された不利益供述が、供述者に対する後日の刑事手続において供述者に不利益な証拠として用いられることのますます不当であることは、もとより明白であつて、憲法第三八条第一項は、実に、かかる不利益供述強要の禁止を保証する趣旨であると解すべきである。したがつて、その供述内容が、供述者に刑事責任を帰するような不利益事項に該当しない供述、もしくは、その供述が右のような手続においてなされるものでない供述の如きは、憲法第三八条第一項の規定の適用を受くべき限りでないといわざるをえない。

有効な旅券または乗員手帳を所持せず(占領期間中は連合国最高司令官の承認を受けず)して本邦に入国する所為は、出入国管理令第三条第七〇条第一号(旧外国人登録令第三条第一二条)によつて刑罰を科せられる罪に該当し、外国人登録法第三条第一項は、本邦に在留する外国人は、その居住地の市町村の長に対し、一、登録証明書交付申請書一通、二、旅券、三、写真三葉を提出し、外国人登録証明書の交付を申請しなければならない旨を規定し、右の申請に際し、旅券の提出をも要求するのではあるが、たとえば、有効な旅券(または乗員手帳)を所持せずして本邦近海を航行する外国人が暴風等の不可抗力により漂着して本邦に在留するに至るような場合、旅券提出の義務はなくともその居住関係および身分関係を明確ならしめるために必要とされる登録申請の義務を免かれうべきいわれはなく、たまたま不法に本邦に入国した外国人に関する場合であつても、外国人登録法第三条第一項の規定の要求するところは、あくまでもただ本邦に在留する外国人の居住関係および身分関係を明確ならしめるために必要とされる事項の開示であつて、毫も不法入国の犯罪事実自体の開示ではない。

のみならず、外国人登録法第三条第一項の規定は、前述のとおり、ただ単に、本邦に在留する外国人の居住関係および身分関係の明確化を期するにとどまり、不法に入国した外国人に関する場合であつても、その不法入国の事実に対する証拠に関する手続規定でないのはもとよりのこと、国家機関がその固有の機能をいとなむために事実の有無に関する調査判断を行うについて必要な証拠関係を律するため特に定められた手続規定に該当しないことも明白である。したがつて、不法に入国した外国人に対して、外国人登録法第三条第一項所定の登録申請義務を課すのは、いずれの点よりしても、毫も憲法第三八条第一項の規定の趣旨に反するところはないと解しなければならない。

然るに原判決が右と異る見解を採り、被告人に対し無罪の言渡をしたのは、外国人登録法第三条第一項、憲法第三八条第一項の解釈適用を誤まつた違法があるものというのほかなく、論旨は結局理由があり、原判決は破棄を免かれない。

よつて、刑訴第三八〇条第三九七条により原判決を破棄し、刑訴第四〇〇条但書にしたがい、本件について更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、日本の国籍を有しない中国人たる外国人であつて、外国人登録法の施行された昭和二七年四月二八日当時旧外国人登録令の規定による登録の手続をしないまま福岡県門司市に居住していたものであるが、同日より三〇日以内に同市長に対し外国人登録証明書交付の申請をせず右の期間をこえて引続き本邦に在留していたものである。

(証拠の標目)

一、原審公判における被告人の供述

一、原審公判における証人高太郎の供述

一、検察官の面前における被告人の第一、二回供述

一、司法警察員の面前における小倉こと、小倉康子の各供述

一、押収にかかる船員手帳一冊(証第一号)、種痘証明書一通(証第二号、履歴書一通(証第四号のうち墨書の分)

(法令の適用)

外国人登録法第三条第一項第一八条第一項第一号(懲役刑選択)

刑法第二五条第一項

刑の量定の点について考察するに、被告人は、昭和一九年一二月満洲国立ハルピン医科大学医学部を卒業し、直ちに満洲国民生部委任官チチハル市立病院外科医員として勤務し、終戦直後光復軍を編成し中共軍に抵抗したため、捕虜となつたが、身辺に危険が迫つたため収容中に逃走し、爾来中国各地を転々した末昭和二四年八月頃難を避けてひそかに琉球を経て本邦に入国したものであり、鹿児島大学、慶応大学等の医学部教授の中には知己恩師もあり、将来本邦に在留し医術をもつて身を立てる意思を有し、第一審判決言渡の後昭和三一年七月五日出入国管理令第五〇条第一項第三号に則り、法務大臣より、特別に在留を許可すべき事情あるものとして、本邦在留の特別許可が与えられている等諸般の事情に照らすときは、被告人に対しては、短期間懲役刑の執行猶予の言渡をするのが相当であると認められる。

以上の理由により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下川久市 裁判官 柳原幸雄 裁判官 岡林次郎)

検察官の控訴趣意

原判決は法令の適用に誤がありその誤が判決に影響を及ぼすことが明かであるから破棄を免れない。

一、原判決は「被告人は昭和二十四年八月頃本邦に密入国して来た外国人であつて外国人登録法の施行された昭和二十七年四月二十八日当時旧外国人登録令の規定による登録の手続を行わないで門司市に居住していたものであるが同日より三十日以内に同市長に対し外国人登録証明書交付の申請をせず右期間を超えて引続き本邦内に在留していたものである」という事実を認定した上、不法入国者である被告人には外国人登録証明書交付申請義務がないので交付不申請の行為があつても罪とならないと認め無罪の言渡をしたものである。而して、不法入国者に外国人登録証明書交付申請義務なしとする理由についての原判決の論旨は畢竟「不法入国者について外国人登録証明書交付申請義務が存するものとすると、その義務を履行することによつてその登録申請をするに際し自己の適法な本邦在留資格を明らかにすることができないため、密入国の嫌疑を受け、或は刑事上不法入国の罪によつて処罰される危険を負い又は行政上国外への退去を強制される危険を負うものである。かかる義務を課することは憲法第三十八条第一項の趣旨に照らし許されず且つ外国人登録法第三条第一項の法意に反する従つて不法入国者には登録証明書交付申請義務はない」というにある。

二、憲法第三十八条第一項は専ら刑事事件に於て為さるべき供述に就て規定せられたものと解すべきものであることはその前後の法条たる憲法第三十一条乃至第四十条は総て刑事事件に関する規定であり第三十八条第二項第三項が何れも刑事事件に関する規定であることより見て明白である。従つて憲法第三十八条第一項によつて保証さるべき不利益供述強制の禁止は当該供述のなされる段階が直接自己又は第三者に対する刑罰を目的として進行している犯罪捜査又は公判審理中の段階に厳格に限定されるべきものである。不利益供述を強制せられないことの保証が刑事事件のみならず一般の民事事件一切の行政行為にまで及ぶと解するにおいては国民は如何なる場合に於ても憲法第三十八条第一項に依拠して自己に不利益な供述又は申告を拒むことができるという不当危険極りなき結論を導き現行制度において行政機関が行政目的のため間接強制の権利を持つている法体系を根本から覆す推論と云わねばならぬ。外国人登録法第三条第一項の規定によつて生ずる外国人登録申請義務は当人の外国人たる地位に基き刑事訴訟手続とは全く無関係に負つている義務であつて、国家が在留外国人の公正なる管理に資することを目的として設定した行政上の義務である。従つて、本邦に在留する外国人である者は外国人登録法第三条の規定に基き登録証明書交付申請義務を負い且つその義務履行のためよしや原判決説示の如き間接的に刑事上又は行政上の危険を招くおそれがあるとしても、憲法第三十八条第一項の規定を適用してその義務を免れしめる謂れは存しないし又外国人登録法第三条の適用を除外すべき理由は毫も存しない。

三、外国人登録法第三条第一項の本邦に在留する外国人に不法入国者を包含せしめないとすることは、同法の文理解釈上いかにしても推論することは出来ないことであつて、仮に不法入国者にして登録証明書交付義務なしとすれば不法入国者は処罰の対象とならず、却つて適法な入国者のみ処罰される不公平な結果を生じ到底許容できない。現に名古屋高等裁判所昭和二十八年(う)第九三八号同年十二月十五日判決(高等裁判所判例集第六巻索引一九二九頁以下参照)もこの申請の義務の存することを判示している。

四、上叙の如き理由によつて本件の公訴は原判決の述べるが如く単なる取締りの必要による政策的立場からする合目的解釈によるものではなく合理的法的根拠に基くものであつて被告人が不法入国者であつても外国人登録法第三条第一項に基く外国人登録証明書交付申請義務を負いその申請をなさなかつたことにより同法第十八条第一項第一号による刑事上の処罰を受けるべきことは明らかである。仍つて原判決は憲法第三十八条第一項の解釈を誤つた結果本件公訴事実につき外国人登録法第三条第一項、第十八条第一項第一号の適用を除外し被告人に対し無罪の言渡をなしたるは法令の適用を誤りその誤りが判決に影響を及ぼしていることが明かである。よつて速かに原判決を破棄して被告人を懲役六月に処するとの判決あらんことを求める次第である。

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